雛まつりについて
2022年09月19日

 

重陽の節句は、桃の節句や端午の節句などと同じく
季節の節目となる五節句の一つです。

【桃の節句(上巳の節句)について】

新暦と旧暦、あまり馴染みのない言葉ですね。

明治五年に新暦が採用されて以来、新暦では日にちが約1ヶ月早まりました。
新暦では9月9日ですが、2022年の旧暦では10月4日にあたり、
京都市内各所で重陽の節句の神事が行われます。

奇数を陽の数字、偶数を陰の数字と考えた中国の陰陽説では
最大の陽数である九が重なる9月9日は「重陽」として長寿を願う風習がありました。

重陽の節句の象徴といえば菊ですが、
秋の収穫の時期とも重なるため栗もまた良し。
「栗ご飯」や菊酒をいただいてお祝いします。

行事の後、皆で頂くお食事会を直会(なおらい)といいますが、
桃の節句には「ちらし寿司」や「菱餅」「蛤のお吸い物」、
端午の節句なら「柏餅」や「ちまき」など
行事ならではの食べ物も楽しみの一つです。

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雛まつりについて
2020年10月03日

まず最初に雛人形を赤ちゃんに触れさせてあげてください。
触れることでおひなさまが災厄を引き受けてくださるのです。

まさにご家族の願いの集大成です。

又、雛人形は赤ちゃんの幸せの未来予想図であり、
毎年飾ったり仕舞ったりを積み重ねることで願いを叶える
お守りでもあります。

ひな祭りはお家の中で行う小さなお祭り。
お供えものを用意し、お雛さまにお供えしましょう。

京都では、和菓子店で引千切(ひちぎり)を求めて
お供えします。

ひちぎり2

引千切とは、引きちぎったような形状が特徴で
宮中ではたくさんのお菓子を作るため、
丸める手間を省くためにこのような形になった
と言われています。

又真珠を抱くあこや貝に似た形をしていることから
女性を象徴したお菓子であるとも考えられます。

いずれにしろ京都以外の地域では見かけることのない
典型的な雛菓子です。

又、お祝いに欠かせないのがご馳走ですよね、、、
ちらし寿司や手毬寿司、ハマグリのお吸い物、シジミの炊いたん、
菜の花のお浸しなど、季節の食材を使って
我が家のお雛まつりを自由にアレンジしてください。

ご両親や友人、ご親戚や同僚など親しい方をお呼びしてお祝いしたいものです。

親しい人達と一緒に
赤ちゃんの健やかな成長と幸せを願う
ひな祭り。

もちろん女性のためのお祭りでもあります。

雛人形と共に桃の花や菜の花を飾って
桃の節句を楽しく自由に演出してください。

 

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雛まつりについて
2020年01月22日

雛人形のお役目

雛人形を赤ちゃんに触れさせてあげてください。

罪や穢れを移して川や海に流していた形代(かたしろ)
から発展した雛人形に触れることで
身代わりとなって災厄を引き受けてくださるという
ご家族の願いの集大成です。

雛人形は赤ちゃんの幸せの未来予想図であり、
毎年飾ったり仕舞ったりを積み重ねることで願いを叶える
お守りでもあります。

 

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雛まつりについて
2019年08月19日

雛祭りの歴史は古く
古代中国にまで遡ります。

① 雛まつりは、古代中国の旧暦三月の最初の巳の日に 

  水辺に出て穢れや災いを祓う行事が起源と考えられている。

② それが日本でも「上巳(じょうし)の節句」として

  三月三日に行われるようになり、

  平安時代には宮廷の年中行事として定着した。

③ 又、民俗信仰として、息を吹きかけたり肌身にすりつけて

  自分の罪や穢れを人形(ひとがた)に移し、

  川に流す風習も古代からあった。

④ これとは別に「源氏物語」などの文学作品では

  幼い子供たちの遊びに使った人形を「ひいな」と呼んでいる。

まとめ:これら四つの風習が三月三日に雛人形を飾って

    子供の健やかな成長を祈る行事=雛祭りになった、

    と考えられています。

    江戸時代になると次第に雛祭りが盛んになっていきました。

    現在見られるような雛祭りの形式は、江戸時代の初期に

    できた、ということです。

旧暦の節句4月になると桃の花が咲くこと、
又、桃は邪気を払う魔除けの木であるから桃の節句と言われています。

 

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雛まつりについて
2018年02月25日

〇季節の節目に邪気をはらう

雛人形の起源は平安時代に遡ります。
昔の日本にはたくさんの節句があり(五節句)、
人々が季節の節目に身の穢れ(けがれ)を払う大切な行事の一つでした。
その中のひとつ、
「上巳の節句」がひな祭りとなったのです。

〇雛祭りと雛人形の関係

ひな祭りというと雛人形ですね、、、
千年以上もの歴史のある雛人形は、日本独自の大切な文化遺産ともいえます。
「源氏物語」に記述のある「ひいなあそび」などからも、
雛人形の歴史を感じます。

〇「上巳の節句」(じょうしのせっく)と桃の節句

雛祭りは桃の節句と呼ばれ、
桃の節句は「五節句」のひとつの「上巳の節句」(じょうしのせっく)のことです。
古代中国の風習と日本独自の風習が一緒になりました。
「上巳」(じょうし)は、 3月の初めの巳の日をいいます。

この日、水辺に出て穢れを祓うための禊(みそぎ)を行い、
お食事会を催してお祝いをしました。
中国でのこの行事のいわれは、けがれを祓い清める意味合いが強かったようですが、
それが日本独特の祓(はらえ)の思想と結びつきました。

祓(はらえ)の道具として人形(ひとがた)がありました。
古代からの民間信仰として人形(ひとがた)に穢れを移して川や海に流し、
災厄を祓うという風習がありました。
その人形(ひとがた)が、天児(あまがつ)の原型です。

〇雛人形の源流

男女一対にしてまつられる、「雛人形のルーツ」といわれているのが、
「天児(あまがつ)」というお人形です。

あまがつ

天児は、30㎝ほどの竹二本を束ねて胴とし、
さらに別の竹を横に組み合わせて手とし、
絹の丸い頭を付け、目・鼻・口を付けた素朴なお人形です。
その起源は平安時代ともいわれています。

幼児に降りかかる災いや穢(けがれ)を負わせるために
この人形に衣装を着せ、枕元に置きました。
さらに自分の分身として生涯持ち続け、
毎日お供え物をして大切にしたということです。

雛人形は祓(はらえ)の人形、天児(あまがつ)と
「ひいな遊び」のお人形が一緒になったものです。

又、「源氏物語」の中に、
「ひいな遊び」=ままごと遊びをしている風景が登場しています。

この「ひとがた」と「ひいな遊び」が結びついて、
現在の「お雛さま」が生まれました。

川や海に流していた人形(ひとがた)も「雛人形」として造られるようになり、
江戸時代になると、平安時代の宮廷を模した段飾りの雛人形となっていきました。

雛遊びが雛祭りと変化してゆくのは、
江戸幕府が3月3日の節日を「五節句」の一つに定めたことです。

時代と共に3月3日に女の子の幸せと健康を願って人形を飾る
風習がゆきわたってゆきます。

〇桃の節句は五節句のひとつです。

・五節供は「五節句」とも書きます。
江戸幕府が五節句を定めました。

その後明治6年に廃止されましたが、民間行事として今も定着しています。
季節の食べ物をお供えして天地に感謝したり、邪気を払う日とされています。

・人日の節句・・・1月7日 
・桃の節句・・・3月3日   
・端午の節句・・・5月5日 
・七夕の節句・・・7月7日
・重陽の節句・・・9月9日 

旧暦の節句4月になると桃の花が咲くこと、
又、桃は邪気を払う魔除けの木であるから桃の節句と言われています。

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西陣からの便り
2018年02月09日

「どれ位の大きさの台を用意したらいいですか?」

おひなさまをご予約いただいたお客様から

お電話をいただきます。

「エアコンの風が直接当たらない方が

いいですよね。」

「きれいにしてからおひなさまをお迎えしようと

大掃除しました!」

みなさん、おひなさまがお手元に届くまで

それはそれは、首を長くして待ち遠しく

思ってくださっているようです。

そして とびきりの特等席をご用意してくださっている

ようです。

ほんまにありがたいことです!!

心を込めて丁寧にお作りせんことには

ばちが当たります。

さて、毎年この時期になりますと、ぼちぼち

おひなさまのお菓子がお店に並び始めます。

あられ、菱餅、チョコ、三色団子、桜餅、ポン菓子

など、いろんな種類のお菓子が売られてます。

京都では昔から「引きちぎり」とか「ひちぎり」といわれる

生菓子をお供えするお家も多く、うちも

毎年近くの和菓子屋さんにお願いしてます。

ひちぎり

阿古屋貝を模してるそうですよ!

女の子の成長を祝うお菓子です。

今年のおひな祭りには、たくみオリジナルの

盛器にひちぎりを載せて「きまり!」

(決して押し売りはしませんのでご安心ください笑)

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雛まつりについて
2018年01月22日

雛人形の歴史

ひな人形の歴史を遡ることで昔の人たちの知恵と祈りの形が
よくわかります。

形代(かたしろ)

「形代」(かたしろ)は人の身代わりとされました。
三月の上巳の節句に、この形代で体を撫でて、けがれや禍いを人形(ひとがた)に移し
川や海に流して子どもの健やかな成長を祈りました。

「形代」(かたしろ)は、古代からのものです。
縄文時代の土偶、弥生年間の人面土器、古墳時代の埴輪などからも推測することが出来ます。
古代では祓以外にも、呪術的な要素も強かったのではないかと言われています。

流してしまうのですから、素材も簡素なものでした。

現代の「形代」(かたしろ)

全国の神社で「大祓」と呼ばれる行事があります。
罪や過ち、心身のけがれを祓い清めるための行事です。

「古事記」や「延喜式」にも記されており、古くから行われていたことが解ります。
 6月は「夏越しの大祓」12月は「年越しの大祓」と呼ばれています。

「大祓」(おはらえ)では「撫で物」(なでもの)とも呼ばれる紙でできた「形代」(かたしろ)に、
名前や年齢を書き、身体をなでて息を吹きかけ自分の罪やけがれを移し海や川に流したり
神社に奉納したりするのです。

「形代」(かたしろ)としての人形

「流し雛」などはその名残と言われています。 
京都でも下鴨神社などで編んだ藁に載せた雛人形「さんだわら」を
境内に流れる御手洗川に流し子どもたちの無病息災を願う神事が行われます。

天児(あまがつ)

天児(あまがつ)は幼児の枕元に置いて
子どもの病気や災厄をはらい、無事な成長を祈るものでした。

30センチくらいの二本の竹の棒を束ねて人形の両手として、
さらにTの字形になるように別の竹を横に組合わせます。
その上に白い絹の布で作った丸い頭を取り付けます。
それに簡単な衣裳を着せて魔除けのお守りとしたのです。   

赤ちゃんの産着などを着せて、
形代(かたしろ)の役目も果たしたようです。

這子(ほうこ)

這子(ほうこ)は、上巳の節句に贈られた人形で、
子どもの枕元におかれ神聖なものとして
3歳になるまでお守りとして持たせるなどの風習も生まれました。

幼児のおもちゃとしても愛用されていたと思われます。
ぬいぐるみの原型とも言われるように、白絹に綿を詰めてつくりました。
這うようなデザインから這子(ほうこ)の名称がついたのでしょうか?

這子(ほうこ)は現在にも伝えられています。
飛騨高山の「猿ぼぼ」は赤い布に綿をつめ、
丸い頭をつけたもので目鼻は描かれていません。
子どもの災厄を祓う這子(ほうこ)が次第に変化して郷土玩具となりました。

立雛

天児(あまがつ)を男雛
這子(ほうこ)を女雛として一対としたものが、
立雛の原型とも言われています。

ひひな

天児(あまがつ)や這子(ほうこ)から派生した「ひいな遊び」のお人形というものがありました。
「源氏物語」に貴族の女の子が「ひいな遊び」をしている風景が登場しています。
「枕草子」にも描かれています。

「ひひな」は童女の遊び道具として存在していました。
「ひとがた」と「ひひな」が結びついて、現在の「お雛さま」が生まれました。

これらの人形は、中世以降になると次第に立派なものとなります。
人形(ひとがた)も「雛人形」として造られるようになり、
江戸時代になると平安時代の宮廷を模した雛壇の雛人形となってゆきました。

雛遊びが雛祭りへと変化してゆくのは、
江戸幕府が3月3日の節日を「五節句」の一つに定めたことと重なります。
時代が進んで3月3日に女の子の幸せを願って人形を飾る風習が広まっていきます。

雛市も盛んになり、市民の間にも浸透していきました。

雛祭りは明治・大正・昭和と経済成長に伴って盛んになってゆきます。
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西陣からの便り
2017年10月02日

昨日から再開した、女将の直伝シリーズ其のⅢ・・・「お内裏(だいり)様とお雛さまって?」

「灯りを付けましょ、ぼんぼりに~♫ お花をおげましょ桃の花~♫・・・」

そうです、皆さんよくご存じの「うれしいひなまつり」。

この二番の歌詞にある「お内裏様とお雛さま~♫ ふ~たり並んですまし顔♫・・・」

実はこの歌詞、「ふ~たり」ではなくて正しくは「4人並んですまし顔」という事実。

「ちょっと、何言うてんの~、もうー。 

学校で ふ~たりって習ったしー」

という、お叱りの声が聞こえてきそうですが、、、

しかしながら、これは事実なんです。

作詞のサトウハチローさん、ごめんなさい笑

つまり、お内裏様=男雛、お雛さま=女雛ではなく、

男雛と女雛一対のことをお内裏様といい、

お雛さま~、も、男雛と女雛一対の雛人形のことを言います。

だから、「お内裏様とお雛さま~♫」というと、

4人の雛人形が並んでることになるんですね。

あぁ~、ややこしい。。。

やはり、「女将の直伝シリーズ」は奥が深い!!(自画自賛。)

次回もお楽しみに。。。

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雛まつりについて
2010年03月08日

寒いです。

ちょっと春を先取りしたようなあったかい

日が続いてましたのに、またまた冬に逆戻りです。

油断大敵!

さて、4日になりますと毎年その年の何人かのお客様

から「もう、おひなさまを仕舞おうと思っています。」

というご連絡をいただきます。

やっぱり「行き遅れる伝説」は根強いです!(笑)

「おひなさまはお子様が健やかにご成長される為の

お守りです!」

ということを知ったはる方は多いんですが、

「じゃぁ、五月人形って何の為に飾るん?」

ということをご存知でない方は意外に多いんとちがい

ますか?

お教えしましょう~(笑)

実は「端午の節句」は奈良時代に宮中で行われていた

邪気払いの行事が江戸時代になり民間にも広まって

鎧や兜、お人形などを飾って邪気を払う行事として

定着して行ったものと言われているんですよ。

そやからやっぱり五月人形も男の子が健康で、やさしく

たくましく成長されるためのお守りなんです。

わかりましたか?(笑)

只今工房では、「五月人形工房直販会」を行って

おります。

かっこいい鎧、こだわりの兜、

かわかっこいい(可愛い+かっこいい・・・わかりにくぅ~笑)

大将さんなどお守りにふさわしい五月人形勢揃い!

ぜひ、お越しくださいね!!

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雛人形 五月人形は 京都 西陣 たくみ人形

願いのままにかたちをつくる「お誂え専門の京ひな人形工房」です。私たちはおひとりおひとりのお客さまの想いをお聞きしてから、お雛さまをつくり始めます。
どんな願いを込めたものにしたいのか、どんな想いがそこにあるのか。京都西陣にある、昔ながらのひな人形工房に、お客さまの声をどうぞお聞かせください。